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日本初の警備サービス会社セコムの前身は、1962年飯田亮が設立した日本警備保障である。家業の酒問屋からの独立を考えていた飯田は、友人から海外で警備保障会社が成長しているという話を聞き起業した。当時は、安全は水や空気同様に無料であるという風潮で、警察への信頼も高く、民間企業が安全に果たす役割は限定的だと考えられた。しかし飯田は、警察や消防ではカバーできない警備保障へのニーズは必ず存在し、安全産業はいずれ開花するという確信を持っていた。日本警備保障が考案した契約形態は、派遣先との間で警備受託契約を結び、1カ月単位でガードマンを派遣し、規定の料金を徴収するというものである。事業が飛躍したきっかけは、1964年の東京オリンピック開催である。日本警備保障は、選手村や競技施設の警備を委託され、一気に知名度を高めた。またTBSが放映した「ザ・ガードマン」で日本警備保障がモデルになるなど幸運にも恵まれ、事業は拡大し、社員数は拡大の一途をたどった。機械警備への転換しかし、社員数の急増が致命的な不祥事を招いた。派遣先でガードマンが窃盗を働いたのだ。再発防止に努める一方、人的警備の限界を悟った飯田は、1966年に機械警備システム(SPアラーム)を導入した。SPアラームは、契約先にセンサーと制御機器を設置し、各地区のコントロールセンターと通信回線で結び、契約先で異常が発生したら異常の情報が送られ、出先から緊急対処要員が出動するというものである。SPアラーム商品化のめどが立ったのを機に、日本警備保障は巡回警備と常駐警備から撤退した。SPアラームの導入は、信用が売り物の警備保障サービス会社が成長期に警備の質を上げるには機械化が必要である、と飯田が考え抜いた結論であった。サービスの標準化、それによる市場への展開力や低コスト化においても、機械警備の方が有望だと飯田は考えた。同時に、飯田は「人間は人間にしかできないことをやり、機械にできることは機械に任せよう」「(人手不足の時代に)1社でそんなにたくさんの社員を抱えることは社会的に正しくない」と考えたのだ。ケース12セコムの発展と戦略
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