A2D1_480
1/14
88在任3年で2度の昇格を果たした曺監督 CASE4では、湘南スタイルを極め、貫くことで湘南ベルマーレを2度、J1に昇格させた曺貴裁(チョウ・キジェ)監督を取り上げる。 湘南ベルマーレの年間予算はJ2なら平均レベル、J1なら最低レベルである。曺監督は、持てる戦力を最大限に活用し2012年にチームをJ1に昇格させる。翌年降格するも2014年には実に勝ち点101という成績で再び昇格を果たす。2015年は8位でJ1に残留。倍以上の予算を持つクラブよりも上位につけるという健闘ぶりだ。 称賛されるべきはその結果だけではなく、ピッチ上で繰り広げるサッカーが観る人を引きつける、エキサイティングな内容になっていることだ。また、選手はみな、曺監督のもとでプレーすることに何よりも喜びを感じている。湘南ベルマーレは何を強みに戦ったのか 曺監督の指揮のもと、湘南ベルマーレのサッカーは“湘南スタイル”と呼ばれるようになった。そのルーツは、Jリーグ開幕後のクラブ黄金期にさかのぼる。ベルマーレ平塚としてJリーグに1994年に参入すると、天皇杯を制し、その勢いでアジアカップウィーナズカップも制する。1点取られても2点3点取りに行くという攻撃的なスタイルは、当時のサッカー界でも1つの形として認められるようになっていた。そして、1998年のワールドカップにはチームから4名の代表選手を輩出するなど、Jリーグのトップレベルにあるチームだった。 ところが、1999年のこと、当時のオーナー企業が自社の経営再建を理由に、クラブ経営から撤退。以降はオーナー企業を持たないクラブチームとして存続することとなるが、かつてのようにはスター選手を擁することはできず、J2でもがき苦しむシーズンが続いた。 2005年、曺監督は、ジュニアユース監督としてチーム強化に携わり始める。この頃からチームの奥底に潜んでいた攻撃型サッカーの遺伝子が徐々に形を表していく。2009年には反町康治監督のもと、J1昇格を果たし、曺監督はコーチとして、そのチームマネジメントをつぶさに吸収した。反町監督の退任を受け、2012年にはトップチームの監督として初めてのキャリアをスタート。以来、前述のとおりの戦果を挙げた。 かつての輝きを取り戻しつつある湘南ベルマーレは何を強みに戦ったのか。曺監督はどのようにその強みを引き出したのか。本章では、ケースと曺監督へのインタビューを通じて考えていこう。オリエンテーション
元のページ
../index.html#1