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90CASE4-1貫いた湘南スタイル大学〜選手時代の経験 曺監督のサッカー選手としてのキャリアは、それほど輝かしいものではない。 早稲田大学のサッカー部では、古き良き体育会の世界で絶対的な上下関係の組織を経験。その学生時代の人脈が結果的にはその後のサッカーキャリアに大きな影響を与えることになる。2014年に湘南ベルマーレの社長を務めた大倉智氏は曺監督の1つ下の後輩。2015年から社長を務めることになった水谷尚人(本テキストCASE5著者)は2つ上の先輩だ。 社員選手として日立製作所に就職するが、その後プロ選手へのキャリアを選ぶ。浦和レッドダイヤモンズ、ヴィッセル神戸と活躍の場を移し1997年に6年間のプロとしてのキャリアを終える。 決してトッププロの道を歩んできたわけではなく、選手時代には思うように使ってもらえない時間が長く、苦労の連続だった。プロ化したばかりのリーグとクラブでは、外国人監督の勝利至上主義(勝利のためには何を犠牲にしても構わない)が多く見られた。そのような環境下で、練習や試合のプレーに大きな制約を受けてサッカーを楽しめないという経験をしてきた。 2012年のシーズンには、J2降格と共にクラブと反町監督が契約を延長しないことになり、曺監督に白羽の矢が立ち、トップチームの監督としてのキャリアを初めて歩み始めた。この監督就任についても、湘南ベルマーレで働き始めたことについても、大倉智氏・水谷尚人の存在が大きかった。 選手時代の経験から、「プロとして結果がすべてであることは理解しているが、結果を出すために選手の個性やサッカーの楽しみを奪ってしまうことだけはしたくない」という思いで、指導に臨んでいるという。湘南スタイルという戦い方 オリエンテーションで述べたとおり、もともとベルマーレには攻撃のチームという伝統があり、いったんは大きく花開いたが、オーナー企業の撤退を機に苦しい時代が続く。しかし攻撃型チームの“遺伝子”は決して失われることはなかった。やがてその遺伝子は、反町監督、曺監督に引き継がれ、湘南スタイルとして結実する。曺監督はさまざまな言葉でこのスタイルについて語っている。
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