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ども『孫子』を読んでいたことが知られています。日本に『孫子』が伝わったのは八世紀、遣唐使吉き備び真まび備が写本を持ち帰ったのが最初だと言われています。戦国時代の武将たちも『孫子』をよく読み、江戸時代には、荻お生ゆ徂そ徠らなど名だたる学者が注釈を付けるなど、さかんに研究が行われていました。『孫子』は一般的に兵書と呼ばれていますが、実は、中身は哲学書だと言えます。哲学とは、「人間とは何か」を考える学問です。人間とは何かを考えるときの指標は、言葉、文化、生命などさまざまなものがありますが、その一つが「戦争」です。人類の歴史は、すなわち戦争の歴史とも言えるからです。戦争を考えるということは、人間とは何かを考えること。『孫子』が行ったのは、まさにそのことでした。私と『孫子』の関わりには、ある考古学上の大発見が深く関係しています。私は出雲大社で知られる島根県出雲市の出身で、子どもの頃から古いものに漠然とした憧れを抱いていました。そこから漢文を学ぶようになり、中国の古典研究の道に入りました。しかし、私が研究を始めた一九八〇年代は、『論語』や『老子』などの諸子百家研究はすでに飽和状態。主だった古典は大御所の先生方がすでに注釈を付けていて、よほどのことがない限り新しい研究の余地はない、新説は出ないという状態でした。ところが、その少し前に、『孫子』についてある事件が起きていました。一九七二年、『孫子』を書きつけた前漢初期の竹ち簡かが、中国山東省の銀ぎ雀じ山ざという丘にある墓から発見されたのです。それが八〇年代になり、日本にも紹介されるようになっていました。やくんつんんぎういのき5

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